賛否両論のマノスフィアとは?ただの女性差別かそれとも…
- Renta
- 4 日前
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最近、「マノスフィア」という言葉がSNSやメディアで注目を集めています。Netflixの話題作『アドレセンス』で取り上げられたことでこのキーワードが大きな議論を巻き起こし、イギリスでは首相が作品に衝撃を受けて全国の学校で視聴可能にする措置まで取られましたbunshun.jp。
そもそもマノスフィアとは何なのでしょうか?それは本当に“ただの女性差別”に過ぎないのでしょうか。本記事では、マノスフィアの意味や歴史、現在注目される理由、賛否をめぐる論争、そして社会への影響について、幅広い読者にわかりやすく解説します。
目次
マノスフィアとは何か?(語源・意味・基本概念)
「マノスフィア(Manosphere)」とは、「man(男性)」と「sphere(領域・世界)」を組み合わせた造語で、日本語では「男の世界」「男性界隈」などとも訳されます。主にインターネット上で展開される男性中心のオンラインコミュニティや文化を指し、そこでは「世界はフェミニズムやポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)によって歪められ、自分たち男性は被害者である」という信念が共有されています。
要するに、反フェミニズム的で女性嫌悪(ミソジニー)的な世界観に基づいた男性コミュニティ全般を指す言葉です。マノスフィアのコミュニティでは、男性がより「男らしく」なる方法や異性との関係構築についての情報交換や自己改善のアドバイスが行われています。しかしその内容にはしばしば女性をステレオタイプ化して蔑視する考えや、「男性がうまくいかないのはフェミニズムのせいだ」といった極端な主張が含まれます。
例えば「女性の自尊心をわざと下げて支配的に振る舞えばモテる」といった主張や、過剰な筋トレの奨励、さらには顎のラインを鍛えるという疑似科学的な自己改造法まで見られるのが特徴ですwired.jp。こうした偏った“男らしさ”信奉の延長線上で、フェミニズムや女性一般への強い反発心が育まれる傾向があります。
マノスフィアに含まれる主なグループの例
インセル(Incel) – 「非自発的独身」
恋人がおらず異性に相手にされないことに苦しむ男性たちのコミュニティ。元々は孤独な人々の自助グループとして始まったものの、次第に「自分がモテないのは女性や社会のせいだ」という恨みに満ちた思想へと過激化しました。近年では数万人規模のオンラインフォーラムに成長し、女性への憎悪や陰謀論が渦巻いています。
ナンパ師(PUA: Pickup Artists) – 「女性を誘う達人」
女性を口説くテクニックを共有する男性たち。モテることを目的に男性優位の恋愛観を実践し、女性を意のままに操る方法を指南します。
例えば「女性は格下扱いし、俺様キャラで振る舞う方がモテる」「多少の強引さや攻撃性こそが男の魅力だ」といった主張が典型です。
男性権利論者(MRA: Men’s Rights Activists) – 「男性の権利を主張する活動家」
離婚時の親権や夫婦財産の扱いなど、男性が不利と感じる社会制度に異議を唱える人々です。表向きは男女平等や男性差別への対抗を掲げていますが、その議論の多くはフェミニズムへの反発や女性蔑視と結びつきやすい傾向があります。
これらのグループは一見、目的や立場が異なるように見えます。しかし「男性らしさへの執着」と「フェミニズムや女性への偏見」という共通点で緩やかに繋がっています。インセルは「自分がモテないのは女性側の問題だ」と恨みを抱え、ナンパ師は「女性を従わせる術」を誇示するといった違いはありますが、どちらも根底には女性への否定的な見方が存在するのです。
歴史とインターネット文化での形成と拡大
マノスフィア現象の萌芽は、インターネットが普及し始めた2000年代初頭にまで遡ることができます。当時、ネット上のフォーラムや電子掲示板、ブログなどにおいて、男性同士が恋愛や人生の悩みを語り合うコミュニティが形成され始めました。初期の頃は必ずしも過激ではなく、むしろ恋愛経験の乏しい「非モテ」男性を皆で応援するといった穏健な雰囲気も存在しました。
実際、日本の巨大匿名掲示板2ちゃんねるでも2004年に誕生した『電車男』のエピソード(秋葉原のオタク青年がネット住民の助言で恋を成就させた物語)は、そのような暖かい男性コミュニティの例と言えるでしょう。
しかし2010年代に入る頃から徐々に状況は変化していきます。SNSの発達とともに人々が容易に意見を発信・拡散できるようになると、一部の男性コミュニティでは女性やフェミニズムへの不満や攻撃的な言説が目立ちはじめました。アメリカでは2014年に「ゲーマーゲート事件」と呼ばれる出来事が発生し、ゲーム業界における女性批評家や開発者に対する大規模なオンライン嫌がらせが問題化しました。この事件をきっかけに、インターネット上のオタク・サブカルチャー空間で以前からくすぶっていた反フェミニズム的風潮が表面化し、広く認知されるようになったのです。
その後も欧米のネット文化において、女性蔑視や陰謀論が交錯しながら過激化が進みました。匿名掲示板4chan発のミーム文化やコミュニティは、2016年には「ピザゲート」というデマ陰謀論事件を生み出し、2017年以降にはカルト的陰謀論ムーブメントQアノンへと繋がっていきました。これら一連の流れの中で、女性やリベラルへの反感を煽るマノスフィア的な思想は、アメリカの政治状況とも結びついていきます。
さらに、「マノスフィア」の台頭は2016年のドナルド・トランプ大統領当選を陰で支えた要因の一つとも分析されていますintelligence-nippon.jpasahi.com。トランプ氏自身、女性蔑視的な言動や“政治的に正しくない”過激発言で物議を醸しましたが、そうした姿勢がフェミニズムと戦う“救世主”のようにマノスフィア層の男性たちには映ったという指摘があります。
こうした現象を総称する言葉「マノスフィア」が広く使われ始めたのも、この2010年代後半から近年にかけてだとされています。学術的にもフランスの人類学者メラニー・グラリエ氏が2017年に出版した著書でナンパ師コミュニティを分析するなど、各サブカルチャーに散在する男性中心主義の動きを一つの文化圏として捉える試みが進みました。日本でも同様に、女性蔑視的なネットミームや「弱者男性」(恋愛や経済面で恵まれない男性)をめぐる論調が目立ちはじめ、もはやマノスフィア的言説は一部の閉じたコミュニティに留まらず質的・量的に拡大しているとの指摘も。
なぜ今“マノスフィア”が注目されるのか?
Netflixドラマ『アドレセンス』の一場面。 本作ではSNS経由で過激な女性蔑視思想に影響されていく13歳少年の姿が描かれ、大人が知らないネットの闇を浮き彫りにしたwired.jpasahi.com。Netflixで2023年に配信されたイギリスのドラマ『アドレセンス』、このドラマはイングランドの片田舎を舞台に、女子同級生を殺害した容疑で逮捕された13歳の少年ジェイミーを中心とした物語を描いています。全4話の構成で、警察での取り調べやスクールカウンセラーとの対話、家族の日常などを通じて、彼がどのようにいじめやインターネット上の影響によって犯行に及ぶに至ったのかが明らかにされていきます。

『アドレセンス』が衝撃的だったのは、ごく普通の少年がSNSや動画サイトを通じてマノスフィア的な思想に染まっていく過程をリアルに描いた点です。劇中でジェイミーは、「女性に優しくするな」「男は支配的であれ」といったネット上の過激なメッセージに影響され、同級生の女子を敵視するようになります。彼が好意を寄せたケイティにデートを断られると、SNS上で彼女から「インセル」(モテない男)と嘲笑され、その怒りが増幅。
やがて「男は格上として振る舞わないと女に舐められる」などの極端な信念に取り憑かれてしまい、悲劇的な事件へと突き進んでしまうのです。
このドラマは配信直後から世界的な反響を呼び、配信開始11日間で6,630万回再生、現在までに累計9,670万回以上再生される大ヒットとなりました。作品の衝撃はエンタメの枠を超えて社会的議論に発展し、イギリスでは当時の首相までもが「非常に衝撃を受けた」とコメント。政府主導で全国の中等学校(中高生)で本作を視聴できるようにする措置が決定されるなど、「インターネット時代の若者がどんな有害コンテンツに晒されているのか」を考えさせる教材としても位置づけられました。
日本においても、『アドレセンス』は大手新聞やネットメディアで取り上げられ、「マノスフィアとは何か」が解説されています。作品の共同脚本家ジャック・ソーン氏は取材の中で「思春期の若者が見るにはあまりに過激なネットコンテンツが簡単に広まっている現実に衝撃を受けた」と語っています。ソーン氏自身、資料としてマノスフィアの深部に「できれば見たくなかったものまで入り込んで調べた」結果、アンドリュー・テイトのような有名インフルエンサーよりも、むしろ無名の若者が書いた「なぜ女の子にモテないのか」を綴るインセル系ブログに強い衝撃を受けたといいます。それは、「10代の自分ももしかしたらあの考え方に惹かれていたかもしれない」という危うさを感じさせるものでした。
つまりマノスフィア的な思想は、一部の有名人だけでなくどこにでもいる少年たちの日常に静かに浸透し得るものだと示されたのです。『アドレセンス』が問いかけたのは、「大人たちは果たして若者のオンラインでの生活実態をどれだけ理解しているのか」という根本的な問題でもあります。日本でも、このタイミングでマノスフィアがクローズアップされている背景には、同作品の社会的反響だけでなく、マノスフィア的思想が現実世界で無視できない規模に広がってきたこと、ネットが当たり前の日常への危機感があります。
前項で述べたように、欧米ではトランプ現象やQアノンなどと結びつき主流政治に食い込む勢いを見せ、日本でもSNS上で“女性嫌悪”混じりの男性論が若者世代に拡散する状況が出てきました。そのため今、「なぜ若い男性たちがマノスフィアに惹きつけられるのか」「どのようにこの現象と向き合うべきか」を社会全体で議論する必要性が高まっているのです。
マノスフィアは差別か?論争と多面的視点
マノスフィアに対しては、「結局のところ女性差別・女性蔑視の集まりではないか」という強い批判が寄せられています。実際、その世界観は先述の通り**反フェミニズム的でミソジニスティック(女性嫌悪的)**であり、女性を性的対象やステレオタイプに矮小化する言動が横行しています。これらはジェンダー平等の流れに逆行するものであり、差別的・有害だとする見方は当然と言えるでしょう。特に過激なインセル・コミュニティでは「女性への復讐」が扇動されたり、実際に暴力事件に発展した例(※2014年、米国で女子学生らを殺傷した犯人が犯行前に自称インセルとして女性への怨恨を綴っていたケースなど)があることから、「憎悪(ヘイト)の温床」でありテロリズムの予備軍ですらあるとの指摘もあります。
一方で、マノスフィア内部の参加者たちは自分たちを必ずしも「差別主義者」とは認めていません。彼らの多くは「フェミニズムや現代社会の風潮によって男性が不当に貶められている」という被害意識を持っており、むしろ「自分たちは正当な男性の権利や生き方を主張しているだけだ」という自己認識です。言い換えれば、彼らにとってマノスフィアは“男性差別へのカウンター”であり、「男性らしさ」を取り戻すための自己防衛運動のつもりなのです。このため「フェミニズムの方こそ男性を差別しているのだ」といった逆差別論を展開する者も少なくありません。
しかし、こうした主張の中身を詳しく見ていくと、やはり根底には女性に対する偏見や憎悪が色濃く滲んでいることがわかります。彼らが好んで語る理屈の例として、劇中でも触れられた「80/20の法則」があります。これは「女性の80%は上位20%の魅力的な男性しか相手にしない」という説で、マノスフィア界隈では一種の真理のように流布されています。この考え方に傾倒すると、恋愛弱者の男性は「自分が孤独なのは女性がごく一部の男ばかり選ぶからだ」と納得するかもしれません。しかし専門家は、こうした単純化された“理論”を信じるほど現実ではますます異性とうまくいかなくなり、フラストレーションが募って女性への憎悪が高まる悪循環に陥りかねないと指摘します。優しさや共感といった本来人間関係に重要な要素を否定し、偏った男性観に固執することは、当人たちにとっても決してプラスにはならないのです。
また、マノスフィアをめぐる論争を複雑にしているのは、一部には女性でありながらマノスフィア的主張を支持する人々も存在するという点です。例えば2013年に開設されたTumblrページ「Women Against Feminism(反フェミニズムを掲げる女性たち)」には、フェミニズムに批判的な立場の女性からの投稿が数多く寄せられました。他にもSNS上で「フェミニストは行き過ぎだ」と糾弾する女性インフルエンサーが登場したりと、マノスフィア的な言説は男性だけの独占物ではなくなっています。これは一見すると奇異な現象ですが、「自分は男性社会の恩恵を受けている(あるいは受けたい)のでフェミニズムには与しない」という考えを持つ女性も一定数いることを示しています。マノスフィアへの評価を巡っては、こうした内側からの擁護の声も含めて多面的に考える必要があるでしょう。
以上のように、マノスフィアはその実態から見れば女性差別的な要素が強いものの、当事者たちは必ずしも差別の自覚なく活動しており、むしろ自分たちこそ被害者だと主張している点に特徴があります。このギャップゆえに議論は平行線を辿りがちですが、近年ではオンライン上のヘイト表現としてプラットフォーム規制の対象になるケース(後述)も出てきており、「表現の自由」対「差別是正」の観点からも社会的な議論が続いています。
SNS・政治・若者文化への影響
マノスフィアはインターネット発の現象であるだけに、SNSや動画共有サイトとの関わりは極めて深いものがあります。Twitter(現X)やYouTube、TikTokといった主要プラットフォーム上では、マノスフィア的な主張をするインフルエンサーや匿名アカウントが多数存在し、その発信力は無視できません。先述のアンドリュー・テイト氏はその典型例で、女性蔑視や極端な男尊女卑の発言で物議を醸しつつもカリスマ的存在として若年男性ファンを集め、一時はSNSで爆発的な影響力を持ちました。彼のような発信者のコンテンツはアルゴリズムによっても拡散されやすく、たとえ直接マノスフィアを知らない少年でも、何気なく見た筋トレ動画や恋愛ハウツー動画から関連動画として過激なインセル思想に行き当たってしまう可能性があります。
事実、ある調査ではYouTubeでフィットネス動画を検索しただけでも、自動的にインセル系の極端な動画へとつながるケースが確認されています。こうした状況に対し、各国でプラットフォーム側への規制や対策を求める声も高まっています。イギリスやEUでは、自殺教唆や摂食障害の助長、児童虐待など子どもに有害な投稿の拡散を禁じる法律が整備され始めており、SNS運営企業に対しアルゴリズムの是正や有害コンテンツのフィルタリング強化を促す動きがあります。一部の国(例えばオーストラリア)では16歳未満のSNS利用を全面禁止する法律も制定され、若年層をネットの影響から守ろうという試みも始まっています。現実問題としてインターネット利用を完全に遮断することは難しいですが、「子どもが成熟するまで有害情報に触れさせない」というアプローチは今後さらに議論が進むでしょう。
Netflix『アドレセンス』の共同制作者ソーン氏も「16歳になるまで世界中の子どもがSNSを使えないようにすべきだ」と極端な提言をしていますが、それほどまでに若年層へのマノスフィア的洗脳の危険が認識され始めているということです。
政治との関わりに目を向けると、マノスフィアは近年のポピュリズム政治や極右運動とも結びつきを強めています。アメリカではトランプ大統領が典型ですが、他にも各国で女性蔑視や反フェミニズムを声高に叫ぶ政治家・団体が登場し、一部の男性有権者の支持を集めています。いわゆる「怒れる若い男性層」の不満を吸い上げる形で、ジェンダー平等政策に逆行する主張(例:「女性の社会進出が男性を奪っている」等)を掲げる動きも見られます。マノスフィアの思想は白人至上主義的なオルトライト(オルタナ右翼)とも親和性が高く、しばしば人種差別や反移民感情とセットで語られる点も見逃せません。
実際、ネオナチ系の過激サイトに女性蔑視記事が掲載されたり、インセルのフォーラムで人種差別的陰謀論が飛び交うなど、差別的イデオロギー同士が融合する傾向も報告されていますisdglobal.orgisdglobal.org。これは社会の分断を一層深める要因となりうるため、各国の治安・情報当局もインセル過激主義など「オンライン発の女性蔑視過激主義」に注目し始めています。
また、マノスフィアは単に政治的文脈だけでなく、若者文化全般にも影響を及ぼしている点が重要です。先に触れたように、ゲーマーコミュニティやアニメ・オタク文化の一部ともマノスフィア的なミーム(ネタ画像・流行語)が交差しており、知らず知らずのうちに女性蔑視的な物言いが若者のスラングとして浸透するケースもあります。例えばネット上では「red pill(赤い薬)を飲む」という表現が、「不都合な真実(=女性の本性やフェミニズムの陰謀)に目覚める」という隠喩としてマノスフィア界隈から発生し、一般の若者掲示板にも飛び火しました。日本でもSNSで「○○はまさにred pillだね」といった具合に、一部のユーザーがそうと知らず使っていることがあります。さらに、日本のX(旧Twitter)上で「恋愛」「セックス」などと検索すると、前述したようなマノスフィア的主張の投稿が大量にヒットする現状があり、ネットリテラシーやジェンダー教育の専門家からは懸念の声が上がっています。「女性に優しくする男はバカだ」といった極端な持論がバズり、多くのリツイートを集めてしまうこともあり、そうした情報に触れた若者が影響を受けてしまうケースも出ているのです。
社会との関わりという点では、マノスフィア現象にどう向き合うかも問われています。差別的表現として厳しく排除すべきだとの声に対し、一部からは「行き場のない若者(特に若い男性)の鬱屈に寄り添う場は必要だ」という意見もあります。確かにマノスフィアに惹かれる背景には、男性側のメンタルヘルス問題や孤独・生きづらさといった社会課題も存在します。しかし、それが女性や社会への憎悪に転化しては本末転倒でしょう。専門家は、教育現場でのジェンダー平等教育やSNSリテラシー啓発を通じて、若者が偏った情報に踊らされない力を養う必要性を指摘しています。また、男性の悩みや不満を健全に語り合える場を設けることも一案です。たとえば、過激な思想ではなく建設的な「男性学」やカウンセリングのアプローチで、恋愛や社会適応に悩む若者を支援する取り組みも求められています。

おわりに
「マノスフィア」と一口に言っても、その内実は複雑であり、一部は深刻な女性差別・ヘイトの温床となっていますが、別の側面では現代社会で疎外感を抱く男性たちの悲痛な叫びが含まれているのも事実です。インターネット上で形成されたこの男性中心文化圏を無視することはもはやできず、私たち社会全体で健全な男女の関係性や若者の居場所のあり方を模索していくことが求められています。「ただの差別」と一刀両断にするだけでなく、何が彼らを惹きつけているのか、その背景にある問題にも目を向けつつ、しかし容認できないミソジニーには毅然と対処する——そのバランスが今まさに問われていると言えるでしょう。
最後に、『アドレセンス』で描かれたような出来事はフィクションとはいえ決して他人事ではありません。ネットの向こうでは日々無数のジェイミーが生まれているかもしれないのです。私たち大人がすべきことは、若い世代が発するサインに耳を傾け、ネット上の有害な囁きに惑わされないよう導いていくことではないでしょうか。そのためにも、マノスフィアとは何かを正しく理解し、健全な議論を深めていくことが重要です。
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