『教育虐待』親や環境に限界だと感じた君に立ち止まって考えてみてほしいこと
- Renta
- 5月12日
- 読了時間: 3分
君の心が疲れた夜、誰にも言えずに叫びたくなる夜、「もういやだ無理!」「親なんて死ね」「こんな家、壊れてしまえばいい」そんな想いが、胸を焼いているのなら──少しだけ、俺の話を聞いてくれ。

俺は底辺だ
俺は、貧乏な家に生まれた。何も持たずに育った。学ぶ環境もなければ、勉強を促す親も、導く大人もいなかった。非行に走り、勉強とは無縁、学校からも登校拒否、定時制高校ですら落ちた。だけどな、そんな俺でも今こうして、お前に言葉を届けてる。誰かを無差別に傷つけたり、怒りの矛先も間違わない。なぜか?人生は、自分の手で変えられるからだ。もっと言えば、自分の手でしか変えられない。
「教育虐待」─たしかにある。だが
今、君が感じていること、それは間違いじゃない。過剰なプレッシャー、怒鳴り声、比較される苦しみ、わかってほしいのに、わかってもらえない孤独。それを「教育虐待」と呼ぶなら、たしかにそうかもしれない。でも、それがすべての真実だと思うな。

世界には、教科書が一冊もない子どもたちがいる。
銃声の中、学ぶことを許されずにいる子どもがいる。
今日、生き延びられるかどうかが人生の課題になってる子もいる。
君が今、机に向かい、字を書き、誰かに怒られているということは、すでに、選ばれた環境にいるということだ。
文句があるなら─力を持て
文句を言うなとは言わない。恨むなとも言わない。俺もずっとそうだった。でもな、「親が悪い」って叫び続けても、誰かのせいにしても、現実は一ミリも変わらない。文句を言う前に、自分の足を前に出せ。従えないなら、従うな。それができないなら、力をつけろ。
選択は力だ。勉強でも、働くことでも、世界放浪でも、何でもいい。親に言い返す言葉なんていらない。ただ、“親がもう何も言えなくなるほどの現実”を突きつけろ。
自分を守ることは大事だ。だが…
最近は、「自分を守れ」「逃げてもいい」って言葉が多い。たしかにその通りだ。でも、それは**「立ち止まっていい」という意味ではない。**
逃げてもいい、でもその先で立ち尽くすな。
守っていい、でもそれを言い訳にするな。
守るだけじゃ、人は強くなれない。苦しみに立ち向かってこそ、人は深くなる。

人生は残酷なゲームのようなもんだ。親も、先生も、国のトップだって、完璧じゃない。誰もが不器用で、誰もが傷つけて、傷ついて生きてる。それが、この世の真実だ。
君の“怒り”は誰かの“希望”になる
君が親に怒るのは、そのぶん、本当は愛されたいからだ。自分を認めてほしいからだ。それは“わがまま”じゃない。生きていく上で、一番大切な感情の火種だ。だがその火を、ただ誰かを焼くために使うのか、世界を少しでも温めるために使うのか、それを決めるのは、君自身だ。
最後に─人生は選べる
君は、何も決められないように感じているかもしれない。でも、決められる。親がどうであれ、環境がどうであれ、「今、これからどう生きるか」は、すべて君の手の中にある。
君はまだ、可能性そのものだ。怒りも、悲しみも、悔しさも、全部使って進め。大丈夫、俺みたいな“底辺”でも、生き直せた、こうして生きている。だから君は、もっと高く、もっと遠くへ行ける。君にはそれだけの“理由”が、もうすでにある。

さあ、文句じゃなく、“選択”をしよう。この人生を、自分の人生に変えるために。
「誰かのせいにしたまま生きる人生」は、君の輝きを殺してしまう。 だからこそ、今この瞬間から“自分の人生”を始めてほしい。
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