top of page

​次世代ブログ

【農家の叫び】令和の百姓一揆とは?日本の食が危ない!原因と未来を徹底解説

  • 執筆者の写真: UR
    UR
  • 4月2日
  • 読了時間: 11分

「令和の百姓一揆」


この聞き慣れない言葉を聞いて、あなたは何を思いますか?まるで江戸時代の歴史ドラマのようですが、これは冗談でも遠い過去の話でもありません。今の農家たちの切実な、そして悲痛な叫びなのです。


トラクターが国会議事堂を目指して行進する。プラカードを掲げ、声を枯らして訴える農家の人々…。いったいなぜ、彼らはこのような行動を起こさざるを得なかったのでしょうか?「日本の農業は大丈夫なのか?」 「私たちの毎日の食卓は、この先どうなってしまうのか?」この記事では、今まさに日本で起きている『令和の百姓一揆』について、

  • なぜ農家は立ち上がったのか?その深刻な背景

  • 「時給10円」は誇張じゃない?追い詰められる農家の実態

  • 彼らは何を求めているのか?その切実な訴え

などを、分かりやすく、そして日本の食の未来を真剣に考える視点から徹底解説します。これは、単なる一つの社会運動の話ではありません。私たち日本人の「食」と「国」の根幹に関わる、非常に重要な問題提起なのです。


たくさんの百姓

目次


  1. 「時給10円」の衝撃…追い詰められる日本の農家の現実

「令和の百姓一揆」の背景にあるのは、まず何よりも日本の農家、特に米農家が直面している想像を絶するほどの経済的な苦境です。


「米農家の時給は10円にしかならない」この衝撃的な言葉が、運動の中で繰り返し叫ばれています。「まさか!」と思うかもしれませんが、これは決して誇張やデマではありません。様々な調査や報道によると、日本の稲作農家の平均的な農業所得は驚くほど低い水準にあります。特に2021年、2022年といった年は、年間所得がわずか1万円程度だったというデータもあるようです。米作りには、田植え、水の管理、稲刈り、乾燥、籾摺り…と、膨大な時間と労力がかかります。その労働時間で年間のわずかな所得を割ると、時給10円という数字が見えてきてしまうのです。

もちろん、大規模経営の農家や他の作物との兼業農家など、状況は様々です。2023年には米価の上昇で多少改善したというデータもありますが、それでも多くの米農家、特に小規模な農家が生産コストすら賄えず赤字経営に苦しんでいるという現実は変わりません。肥料や燃料、農業機械などの価格は高騰する一方なのに、米の価格は長年低迷、あるいは上がってもその恩恵が十分に農家に届かない…。これでは、生活を維持していくことすら困難です。


さらに深刻なのが、農業従事者の高齢化と後継者不足。日本の基幹的農業従事者の平均年齢は70歳に迫ろうとしています。若い世代が「農業では食べていけない」と感じ、跡を継がなければ、耕作放棄地は増え、日本の米作り、ひいては農業全体が衰退していくのは目に見えています。「日本の農業は、このままでは本当に壊滅してしまう」それが、農家の方々の偽らざる危機感なのです。


政府の農業政策への積年の怒り爆発

  1. なぜ怒りの声が?政府の農業政策への積年の不満

農家の方々の怒りの矛先は、単に経済的な苦しさだけではありません。長年にわたる政府の農業政策に対する根深い不満と不信感も、今回の「一揆」の大きな要因となっています。特に問題視されているのが、米の生産調整(減反)政策とその後の対応です。かつて国は、米の作りすぎを防ぎ価格を安定させるために、補助金などを出して他の作物への転作を促す減反政策を長年続けてきました。しかし、2018年にこの政策は廃止。


ところが、廃止後も政府は「水田フル活用」といった名目で、主食用の米以外の作物(飼料用米、大豆、麦など)への転作を促す補助金制度を続けています。農家から見れば、「結局、自由に米を作らせてもらえないじゃないか」「国の言う通りに転作しても、十分な収入にならない」という不満が募ります。補助金の制度自体も複雑で、地域によっては不利になったり、条件を満たすために不本意な作業(実質的に耕作放棄地なのに補助金のために水を張るなど)を強いられたりするケースもあるようです。

また、TPPなどの国際的な貿易自由化の流れの中で、安い外国産の農産物との競争にさらされ、「国は本当に国内の農業を守る気があるのか?」という不安も広がっています。


「食料安全保障を強化する」と政府は言いますが、実際に現場で汗を流す農家の声が十分に届いていない、自分たちの生活が守られていない、と感じている農家の方々が多いのです。この積年の不満が、ついに爆発したのが「令和の百姓一揆」と言えるでしょう。


トラクターが国会へ!「令和の百姓一揆」が訴えるモノ

  1. トラクターが国会へ!「令和の百姓一揆」が訴えるモノ

令和の百姓一揆は、単なる一部の過激な行動ではありません。日本の農業の未来を憂う、全国の農家や市民による、組織だった運動です。2024年頃からその動きは顕在化し、各地でのシンポジウムや勉強会、そして象徴的なトラクターデモなどが行われています。

2025年3月には、東京・日比谷公園から国会議事堂周辺を目指して、多くのトラクターが行進し、全国から集まった約4500人が「食料安全保障の確立」「農家の所得補償」などを訴えました。彼らの主な要求は、非常にシンプルかつ切実です。


  • 「農家が生活できるまっとうな所得補償を!」

    特に、ヨーロッパなどの先進国で行われているような、国による直接的な所得補償制度の導入を強く求めています。「時給10円」ではなく、誇りを持って農業を続けられるだけの経済的基盤を求めているのです。

  • 「国内農業を守る政策への転換を!」

    安易な輸入自由化に頼るのではなく、日本の食料自給率を高め、持続可能な農業を実現するための、国策としての明確なビジョンと支援を要求しています。

  • 「私たちの声を聴いてほしい!」

    現場の実態を無視した政策決定ではなく、農家の意見を尊重し、対話に基づいた政策立案を求めています。


この運動は、かつて江戸時代などに起きた「百姓一揆」と、権力に対する農民の異議申し立てという点で共通しています。しかし、現代の「一揆」は、SNSで情報を発信し、クラウドファンディングで活動資金を集め、市民社会との連携を目指すなど、現代ならではの手法を取り入れている点も特徴です。これは、過去の歴史を踏まえつつ、未来への希望を繋ごうとする、新しい形の社会運動なのです。



  1. 他人事ではない!私たちの食卓と日本の農業の未来

「農家の問題は、自分には関係ないかな…」もし、あなたがそう思っているとしたら、それは大きな間違いかもしれません。『令和の百姓一揆』は、私たちの毎日の「食」、そして日本の未来そのものに直結する問題を提起しています。


もし、このまま農家の経営難や後継者不足が進めば、どうなるでしょうか?国内の米や野菜の生産量は減少し、私たちはますます輸入食料に頼らざるを得なくなります。そうなれば、海外の情勢不安や異常気象、輸送コストの高騰などの影響を直接受け、食料価格はさらに不安定になり、品薄になるリスクも高まります。日本の食料自給率はただでさえ低い(カロリーベースで4割以下)のに、これがさらに低下すれば、国の「食料安全保障」は極めて脆弱なものになってしまいます。


「安全で美味しい国産の食べ物を、安定した価格で手に入れたい」これは、私たち消費者の誰もが願うことのはずです。しかし、その願いを支えてくれている農家の方々が、生活できないほどの苦境に立たされているとしたら…?その矛盾に、私たちはもっと目を向けるべきではないでしょうか。


(先日話題になった「すき家」の異物混入事件の際、SNSで「国産米を使っているから狙われた」という真偽不明の噂が流れました。このこと自体は陰謀論かもしれませんが、それだけ多くの人が「国産米」や「食の安全」に敏感になっていることの表れとも言えます。私たちの食への関心は、生産現場の現状と無関係ではいられないのです。)


農家の問題は巡り巡って、私たちの食卓の豊かさと安全、そして国の未来に直接関わってくる、まさに「自分ごと」の問題なのです。



  1. 世界の農家も叫んでいる?国際比較から見えること

実は今、農業政策や経済的な苦境に対して声を上げているのは、日本の農家だけではありません。世界に目を向けると、ヨーロッパ各国(フランス、ドイツ、オランダなど)やインドなどでも、大規模な農家の抗議デモが頻発しています。

理由は国によって様々ですが、共通しているのは、政府の政策(環境規制、貿易自由化、補助金削減など)や、燃料・資材価格の高騰、安い輸入品との競争激化などによって、農家の経営が圧迫されているという点です。トラクターで高速道路を封鎖したり、首都で大規模なデモを行ったりと、その訴え方は日本よりも遥かに過激です。



日本の『令和の百姓一揆』も、こうした世界的な農家の苦悩と連動する動きと捉えることができます。ただし、日本の場合は特に、「欧米並みの所得補償」という要求が前面に出ている点が特徴的かもしれません。これは、日本の農業政策の歴史や、特に米農家が置かれている厳しい経済状況を反映していると言えるでしょう。世界中の農家が直面する課題を知ることは、日本の農業問題をより広い視野で捉え、解決策を探る上で重要なヒントを与えてくれます。


  1. 「令和の百姓一揆」が問う日本の食と未来

『令和の百姓一揆』は、単なる一部の農家による不満の表明ではありません。それは、日本の農業が瀬戸際に立たされていることを示す、社会全体への警鐘であり、私たちの「食」の未来に対する重大な問いかけです。


「時給10円」という言葉に象徴される農家の経済的苦境、高齢化と後継者不足による担い手の減少、そして食料自給率の低下…。これらの問題から目を背けていては、安全で豊かな日本の食卓を守り続けることはできません。


この「一揆」は、私たちに多くのことを問いかけています。私たちは、食料を生産してくれる農家に、正当な対価を支払えているでしょうか?政府は、本当に日本の農業と食料安全保障を守るための、実効性のある政策を実行できているでしょうか?そして、私たち消費者は、価格の安さだけを求めるのではなく、国産の農産物の価値を理解し、支えていく意識を持っているでしょうか?


未来の世代に、安全で豊かな食を残していくために今、政府、農業関係者、そして私たち消費者が、それぞれの立場で真剣に考え、行動を起こす必要があります。農家の方々の切実な声に耳を傾け、彼らが希望を持って農業を続けられる社会を、そして私たちが安心して「いただきます」と言える未来を、共に築いていかなければなりません。


『令和の百姓一揆』は、そのための重要な第一歩なのです。


極度の貧困で生きる少年

  1. エピローグ:「安さ」を求める社会とその先

「令和の百姓一揆」が突きつける問題は、単に農業政策や、政府・農家・消費者の三者の関係性だけに留まるのでしょうか?私はそうは思いません。もう少し俯瞰し引いた視点で見てみると、この叫びは現代日本社会が抱える、より根深く、構造的な病巣の一端を映し出しているのかもしれません。


「国産米を支えたい」「大変な思いをしている農家さんを応援したい」そう願う消費者はきっと少なくないはずです。しかし、現実はどうでしょうか。長引く経済の停滞、実質賃金の伸び悩み、そして静かに、しかし確実かつ急速に広がり続ける格差。多くの人々が、日々の生活を守ることで精一杯で、食料品を選ぶ際にも「少しでも安いものを」と、価格を優先せざるを得ない状況に置かれています。これは、決して個々の消費者の意識の低さの問題ではありません。社会全体の経済構造が、そうした選択を強いている側面があるのです。


もし仮に、今回の百姓一揆を政府が深刻に捉え、農家の生活を守るために手厚い所得補償策を講じたとしましょう。それは一時的な救いにはなるかもしれません。しかし、その財源は結局、私たちの税金で賄われるでしょう。あるいは、政策によって米の価格そのものが底上げされれば、それは巡り巡って、日々の食費という形で私たちの家計を圧迫します。これでは問題が移動しただけで、根本的な解決とは言えません。生産者も消費者も、共に豊かになれないジレンマがそこにはあります。


問題の根源は、農業分野という枠を超え、社会全体の歪んだ所得配分、そして一部の富と大多数の貧困という構造そのものにあるのではないでしょうか。この根本的な構造が変わらない限り、生産現場の疲弊と消費者の価格への縛りという構図は、形を変えながら繰り返されていきます。


では、どうすればいいのか?もはや対症療法的な政策だけでは限界が見えています。社会全体の所得水準を引き上げ、格差を是正していくような、より抜本的な経済・社会システムの変革・革命が必要なのではないでしょうか?

例えば、全ての人に最低限の生活を保障する**「ベーシックインカム」**のような制度が導入されたら、世界はどう変わるでしょう?消費者は、単に「安いから」という理由だけでなく、「品質が良いから」「生産者を応援したいから」といった価値観で食を選べるようになるかもしれません。農家も、国の補助金に過度に依存せず、自らの生産物に対する正当な評価を市場から得やすくなるかもしれません。もちろん、ベーシックインカムには財源の問題、労働意欲への影響など、多くの課題があり、簡単な解決策ではありません。しかし、これまでの延長線上に未来が見えないのであれば、私たちはもっと大胆な発想で、社会のあり方そのものを構想し直す時期に来ているのは間違いない。


「令和の百姓一揆」のトラクターの列は、私たちに問いかけています。食と農の未来はもちろんのこと、この国の経済のあり方、社会のあり方、そして、私たち一人ひとりが求める「真の豊かさ」とは何か、を。その問いから目を背けず、未来への対話を始めること。それこそが、この「崩壊」の兆しから脱却するための、唯一の道なのかもしれません。

Comments


SNS用アイコン 柴侍

SNS用アイコン販売中だワン!!

bottom of page