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次世代ブログ

【大阪西成事件】犯罪者の心理と彼らを生む腐った日本社会への告発

  • 執筆者の写真: Renta
    Renta
  • 5月4日
  • 読了時間: 8分

今日も、理不尽なニュースが後を絶たない。



大阪西成で、何の罪もない小学生たちが、見ず知らずの男に車で襲われた。犯人の口から出た言葉は「すべてが嫌になった」「苦労せずに生きている奴が憎い」…。


この言葉を聞いて、あなたは何を感じますか?恐怖?嫌悪?それとも、心のどこかで、犯人が抱えたであろう絶望や社会への怒りに、わずかでも共鳴してしまう部分がありますか?もちろん、彼の行為は断じて許されるものではない。しかし、なぜ彼はその行き場のない怒りを、未来ある子供たちという、最も抵抗できない弱い存在に向けなければならなかったのか?この記事では、綺麗事は一切言いません。『犯罪者』あるいは『犯罪者予備軍』と呼ばれる(そうならざるを得なかった)人々を生み出してしまう、この腐った日本社会の構造と、彼らの**『犯罪者心理』**の歪みを、真正面から抉り出します。


そして、最も重要な問いを投げかけたい。彼らが、そして、もしかしたら画面の前でこの記事を読んでいるあなた自身が抱える社会への怒りや不満。その矛先は、本当に正しい方向を向いているのか?と。


怒りを「革命」のエネルギーへ

目次


  1. 大阪西成事件の歪んだ憎悪と卑劣なターゲット選択

大阪西成区の事件。男は「苦労せずに生きている人が嫌だった」と供述したといいます。そして、その憎悪の対象として、下校途中の小学生の列に車で突っ込んだ…。


正気ではない。小学生が「苦労せずに生きている」?ふざけるなと言いたい。この日本で、貧困、親からの虐待、ネグレクト、ヤングケアラーとして家族の世話に追われる…そんな過酷な現実を生きている子供たちが、どれだけいると思っているんだ?最新のデータを見れば、子供の約9人に1人が貧困ライン以下で暮らし、児童虐待の相談件数は過去最多を更新し続けている。彼らだって、この社会の理不尽さの中で、必死に生きているんだ!


容疑者の「苦労知らず」という認識は、現実から目を背けた、あまりにも身勝手で歪んだ妄想でしかありません。では、なぜ小学生だったのか?心理学では、自分の怒りや不満を、本来の原因である相手(例えば、自分を不当に扱った社会や権力者)ではなく、より攻撃しやすく、反撃される可能性の低い相手に向けてしまうことを**「置き換えられた攻撃性」**と呼びます。

つまり容疑者は、自分が本当に立ち向かうべき相手(社会構造や権力者)と戦う勇気も力もなく、その鬱積した怒りを、最も無防備で、抵抗できない存在である子供たちにぶつけた。これは、強い者には何も言えず、弱い者だけを叩く、最も卑劣で、最も醜悪な「弱い者いじめ」の構造そのもので、断じて許される行為ではない。


  1. 「すべてが嫌になる」社会:犯罪者心理を生む日本の病巣

では、なぜ彼らは「すべてが嫌になる」ほど追い詰められてしまうのでしょうか?個人の性格や精神の問題だけでしょうか?断じて違います。今の日本社会そのものが、**絶望し、社会を憎む人間を生み出す「病巣」**を抱えているのです。多くの無差別事件の加害者たちに見られる背景を見てください。


  • 社会からの「孤立」

    頼れる人も、相談できる相手もいない。地域からも、職場からも、時には家族からさえも切り離され(あるいは完全に独り身)、深い孤独の中にいる。

  • 終わりのない「経済的困窮」

    非正規雇用、低賃金、失業…。努力しても報われず、将来への希望が見えない。生活保護すら受けられず、明日の食事にも困るような状況。

  • 繰り返される「挫折」と「自己否定」

    何をやってもうまくいかない。社会から「お前は価値がない」と烙印を押され続けているような感覚。


これらは、決して彼らだけが特殊なのではありません。今の日本で、同じような苦しみ、生きづらさを感じている人々が、どれだけ多くいることか! 周りを見れば、親の七光りで何不自由なく生きる世襲議員、税金を食い物にする官僚、労働者を安く使い捨てる大企業の経営者…。そんな**「苦労知らず」に見える人々と自分を比較し、「相対的剥奪感」**に苛まれる。そして、社会に対する不信感と憎悪が募っていく。「この社会は間違っている」「俺をこんな目に遭わせた社会が憎い」と。


社会から見捨てられ、誰からも必要とされず、未来に何の希望も持てなくなった時、人間はどうなるか?その怒りや絶望が、歪んだ形で暴発する…。それが、私たちが目にしている無差別事件の、一つの側面ではないでしょうか?彼らは、**この腐った社会が生み出した「必然的な存在」**なのかもしれません。


  1. 【核心】怒りの矛先を間違えるな!お前が本当に憎むべき相手は誰だ?

もし、あなたが今、この社会に対して強い怒りや憎しみ、あるいは「すべてが嫌になった」という絶望を抱えているのなら、聞いてほしい。その怒りの矛先、本当にそれでいいのか?


無関係な人々を傷つけることで、あなたの怒りは晴れるのか?社会は変わるのか?答えは**「NO」**だ。それは、あなた自身の心をさらに汚し、あなたをただの卑劣な犯罪者にするだけの、最も愚かで無意味な自己破壊行為に他ならない。


目を覚ませ!お前が本当に怒りをぶつけるべき相手、その絶望の原因となっている存在は、すぐ隣にいる名もなき人々ではないはずだ!お前が憎むべき「苦労せずに生きている奴ら」がいるとすれば、それは、

  • 国民の生活には目もくれず、利権にまみれ、保身と権力維持にしか興味のない、この国の政治家たちではないのか!?税金を私物化し、国民を欺き続ける彼らにこそ、怒りの鉄槌・声を上げるべきではないのか?

  • 格差を拡大させ、労働者を使い捨て、自分たちだけが甘い汁を吸い続ける大企業や既得権益者たちではないのか!?公正な社会を歪める彼らの強欲さに、異議を唱えるべきではないのか?

  • 権力に媚びへつらい、国民にとって不都合な真実を隠蔽し、世論を操作しようとする大手メディアではないのか!?彼らの欺瞞を暴き、真実を求めるべきではないのか?

  • そして、貧困や孤立を「自己責任」として切り捨て、弱者が這い上がれないように設計された、この冷酷な社会システムそのものではないのか!?


繰り返すが、これは決して「暴力」を推奨するものではない!しかし、あなたのその燃えるような怒りや絶望のエネルギーは、無差別な破壊ではなく、**この社会の根本的な不正義に対する、正当な「怒りの声」**として、**社会を変えるための「力」**として、使われるべきではないのか?矛先を間違えるな。弱い者を叩くな。真の敵を見据えよ!


  1. 「自己責任」という名の冷酷さ…綺麗事では救われない現実

事件が起きると、決まって聞こえてくる言葉があります。「どんな理由があっても暴力は許されない。全ては本人の責任」…果たして、これらの「綺麗事」だけで、何かが変わるのでしょうか?もちろん、個人の責任は重大です。しかし、「自己責任」という言葉は、時に、社会が抱える構造的な問題を個人の問題にすり替え、責任を放棄するための都合の良い言い訳として使われてきたのではないでしょうか?努力する機会すら与えられず、社会のシステムによって追い詰められた人間に、「自己責任だ」と突き放すのは、あまりにも冷酷すぎやしませんか?


家族も友人もなく、社会から孤立し、誰からも必要とされていないと感じている人間に、その言葉はどれほど空虚に響くことでしょう。もはや、精神論や道徳の教科書のような綺麗事では、この社会の深い病巣を治すことはできません。


  1. 怒りを「革命」のエネルギーへ転化せよ!

無差別な暴力という、最も醜悪で、最も悲劇的な形で噴出する社会への絶望。それは、『犯罪者』『犯罪者予備軍』を生み出す、この国の歪んだ構造が生み出した、一つの症状に過ぎないのかもしれません。犯人個人を断罪し、厳罰化を進めるだけでは、根本的な解決にはなりません。なぜなら、同じような絶望と怒りを抱え、いつ一線を越えてもおかしくない人々を、この社会は次々と生み出し続けているからです。


断じて、無差別な暴力は許されません。しかし、その根源にある社会の不正義、格差、孤立から目を背けてもいけないのです。もし、あなたがこの社会に怒りを感じているなら。もし、あなたが「すべてが嫌になった」と感じるほどの絶望を抱えているなら。その巨大なエネルギーを、どうか**無意味な「破壊」**ではなく、**意味のある「革命」**へと向けてください。


真の敵は誰なのか?何がこの社会を腐らせているのか?その問いを突き詰め、言葉で、知性で、そして行動で、この歪んだ社会に「NO」を突きつけること。政治に関心を持ち、不正を告発し、声を上げ、連帯すること。


怒りは、使い方次第で、未来を切り拓く力になります。 絶望の連鎖を断ち切り、誰もが人間らしく、尊厳を持って生きられる社会を取り戻すために。あなたのその怒りを、正当な変革へのエネルギーへと転化させる。それこそが、この狂った時代に、私たちに残された唯一の道なのかもしれません。

※本記事は、社会問題に対する極めて強い問題意識と批判に基づいて書かれており、強い表現を含みます。特定の個人や集団への憎悪や、いかなる形の暴力も肯定・助長する意図はありません。



とはいえ、長い人類の歴史を見ても、革命には暴力がつきものだ。この社会を、世界を、悪い人間が牛耳っている以上、正義という名の力は、いずれ必要になってくるだろう。だが、罪のない人々を傷つける力は、完全な暴力だ。力の使い方、吐き出しかたを間違えるな。

耐え忍べ。同胞たちよ。

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