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次世代ブログ

立川小学校事件から考える日本の学校ガバナンスの脆弱性と子供の防犯対策

  • 執筆者の写真: Renta
    Renta
  • 5月9日
  • 読了時間: 19分

2025年5月8日、東京都立川市の小学校で衝撃的な事件が発生しました。授業中の小学2年生の教室に、保護者が呼び出した(とされる)2人の男が突然押し入り、担任教師を児童の目の前で殴打したのですasahi.combunshun.jp(容疑者は否定)。教室内には子どもたちの悲鳴が響き渡り、異変に気付いた他の教員や校長も駆け付けましたが、男たちは校長を含む教職員5人に暴行を加え、校内の窓ガラスを叩き割るなど暴れましたbunshun.jpasahi.com。幸い児童に直接の怪我はありませんでしたが、平穏なはずの学び舎が一瞬にして恐怖の現場と化したのです。この事件を受けて立川市教育委員会は、「学校内の安全確保策を検討する」とコメントしています。


一体なぜ、学校という子どもたちの安全が守られるべき場所で、これほどまでの暴力沙汰が起きてしまったのでしょうか。本記事では、立川市の小学校で起きた暴行事件を起点に、日本の学校におけるガバナンスの脆弱性や教育現場の構造的な遅れ・問題点を掘り下げて論考します。具体的には、学校の出入り管理や警備体制の実態、教育現場における危機管理意識の低さ、教師と保護者のストレス関係の背景、過去の類似事件との比較、「学校=安全」という前提の崩壊、そして子ども自身が身を守る必要性と防犯ツールの提案について考えていきます。


小学校の前で待機する不審者

目次


  1. 誰でも入れてしまう学校の出入りと警備体制の実態

今回の事件では、犯人の男2人はあっさりと校内に侵入しています。彼らは事件直前に学校の正門から堂々と入っていく姿が防犯カメラに捉えられており、そのまま2階の教室まで到達しました。このことから浮き彫りになるのは、日本の小学校における出入り管理の甘さです。実際、事件後に児童を迎えに来た保護者の一人は「以前から学校の正門が開いている時間が長いことに不安を感じていた。誰でも入れると前から心配していた」と語っています。つまり、普段から門戸が開放され、外部の人間が容易に校内に入れてしまう状態だった可能性が高いのです。これは立川小学校だけでなく、全国すべての学校に当てはまることです。


文部科学省も以前から不審者侵入防止策として「登下校時以外の校門施錠や来校者管理の徹底」を求めていますkyoiku-press.comが、それが現場で徹底されていなかったことになります。そもそも日本の学校は長らく「開かれた学校」として地域に開放されてきた歴史があります。校庭と道路の間に塀やフェンスがない学校も多く、24時間いつでも誰でも校庭に入れるところさえありますnli-research.co.jp。日中は近所の親子が校庭を散歩する姿も見られるなど、学校施設が地域コミュニティの一部となっている例も少なくありません。そうした開放的な環境は地域との共存にはプラスですが、防犯面では大きなジレンマです。校舎内に自由に入れてしまう構造では、当然ながら不審者や外部の人間による干渉リスクが高まります。


今回の立川市のケースでは、来校していた保護者が外部の知人男性を電話で呼び寄せ、結果的に「内部の人間が外部の侵入者を招き入れる」形で事件が起きてしまいました。学校の入り口に守衛や警備員を配置している小学校はごく一部で、多くは教職員が受付や門扉管理を兼務しています。人手不足や予算の制約もあり、物理的な防犯設備(高い塀やオートロック門扉、防犯カメラなど)の整備も学校によってまちまちです。文科省の調査では、約97%の学校で門の施錠や防犯カメラ設置など何らかの不審者侵入対策を講じているとされます。しかし「形だけ」の対策になっていないか、継続的な点検や運用が適切に行われているかが問われます。実際、防犯カメラを設置していても故障に気付かず放置し、その間に不審者が4か月も学校内に住み着いていたケースすらあったと報告されています。


このように、たとえ設備やルールがあっても機能していなければ意味がありません。学校の出入り管理と警備体制の実態を見ると、「誰でも入れてしまう」ような抜け穴だらけの状況が存在しており、今回の事件はまさにその脆弱性を突かれた形といえます。


平和ボケした教職員と弱そうな教育委員会や大人たち

  1. 教育現場のガバナンスと危機管理意識の欠如

立川市の事件は、教育現場の危機管理意識の低さも露呈しました。学校側は年に一度、不審者対応訓練を実施していたといいます。しかし結果として侵入を許し、教職員が負傷し児童が恐怖に晒される事態となったことは、訓練やマニュアルが机上の空論に終わっていたことを証明します。教育委員会は「重く受け止めるべき」とコメントしていますが、被害が出て初めて対策を見直すようでは後手に回っています。


学校ガバナンスの脆弱性は、平時の意思決定や危機への準備体制にも現れます。今回、いじめ(児童間トラブル)対応のために来校した母親との話し合いが決裂し、母親が知人男性に連絡して呼び入れるという異常事態に発展しました。本来、トラブル対応の面談には複数の教職員が同席したり、こじれそうな場合はスクールカウンセラーや教育委員会の担当者を交えるなどリスク管理が必要ですが、そのあたりの体制は手薄だったのかもしれません。

結果的に学校側の対応への不満が保護者の暴走を招いたわけですが、そもそも保護者とのトラブルがエスカレートした際に想定される最悪の事態(暴力沙汰や第三者の乱入)を学校が全く想定していなかったように見えます。これは危機管理意識の欠如と言わざるを得ません。


教育委員会や学校管理職のガバナンスにも課題があります。現場の教職員は多忙を極め、日常業務で精一杯な中で、防犯や危機対応のマニュアル整備・訓練まで手が回っていない実態があります。文科省は学校ごとに危機管理マニュアルの作成を義務付けていますが、調査では未作成の学校も一部存在することが判明しています(一例では1.3%の学校で未整備)。また、マニュアルがあっても教職員間で共有されていなかったり、更新・周知がなされていないケースも考えられます。今回のように保護者が絡む事態について、どこまで危機意識を持って備えていたかは疑問です。


さらに言えば、日本の学校では**「まさか保護者がそんなことを…」という油断があったのではないでしょうか。見知らぬ不審者への警戒はしていても、日頃顔を合わせる保護者が凶行に及ぶ可能性は低いと考えてしまいがちです。しかし近年、保護者による教師へのクレームや威圧的な言動が問題化しており、学校側も保護者対応を「危機」の一種と捉える必要があります。残念ながら教育現場には「保護者との関係悪化を避けたい」「問題は穏便に収めたい」**という意識が根強く、多少の無理難題にも我慢してしまう傾向があります。そうした弱腰のガバナンスでは、今回のような暴力沙汰を防ぐことはできません。


ガバナンス改革の専門家は、教職員の多忙さや負担過多が危機管理を後回しにさせている点を指摘していますjacd.jp。初等教育の現場では授業や校務、課外活動、保護者対応、行政対応など業務が山積し、管理職も含め**「目の前の対応」に追われ戦略的な学校経営ができていない**とされます。そのため、危機管理や安全対策への意識・投資が後手に回りがちです。学校ガバナンスの脆弱性を克服するには、平時から最悪の事態をシミュレーションし、教職員全員に危機意識を共有させるリーダーシップが不可欠でしょう。


  1. 教師と保護者のストレス構造:その背景にあるもの

事件の背景には、教師と保護者双方のストレスや不満の高まりも見え隠れします。教育現場では近年、保護者から学校や教師への要求・クレームが肥大化し、いわゆる「モンスターペアレント」と呼ばれる存在がかつてないほど社会問題化してきました。これまで学校と家庭は信頼関係で結ばれていましたが、今や「うちの子を特別扱いして」「宿題を出すな」といった個人本位の要求や、「なぜうちの子が100点を取れないのか」と過度なプレッシャーをかけるケースが後を絶たないと言いますallwork-all.com。教師が児童同士のトラブルを注意して保護者に連絡したら、「それはいじめではない」と逆に抗議されるといった理不尽な例も。相手の気持ちを考えず自分の主張ばかり通そうとする、まるで**「子どものような親」**が存在するというのが今の日本社会の実情です。


このような保護者対応に日々追われる教師側のストレスも尋常ではありません。実際、「モンスターペアレント」の対応に心身をすり減らし体調を崩す教師も少なくはありません。「理不尽なクレーム対応を続けるうちに頻繁にめまいが起き、学校で倒れて休職した」という若手教師の告白も報じられていますforzastyle.com。校長や教頭ですら、問題を表沙汰にしないよう臭い物に蓋をする態度で、現場教師を十分に支えられていないケースもあるようです。こうした状況で教師は孤独にストレスを抱え込み、心が悲鳴を上げてしまいます。


データもそれを裏付けています。文部科学省の調査によると、精神疾患による教員の病気休職者数は全国で7000人を超え、過去最多となっています。わずか10年ほどで倍増したとの指摘もあり、教師のメンタル不調は深刻化の一途。その背景には教育環境の急激な変化、業務量の増大に加え、先述の保護者対応の難化が大きな要因となっていると分析されています。


心身ともに疲弊した教師

つまり、教師たちは**「子ども達への指導」という本業以外**に、煩雑な事務作業や部活動指導、そして過敏な保護者への対応まで背負わされ、心身ともに疲弊しているのです。一方、保護者側にも言い分やストレスはあるでしょう。例えばいじめ問題に我が子が直面した場合、学校が的確に対応してくれないと感じれば、保護者は不安と怒りを募らせます。特に今の親世代は情報収集能力も高く、他校や他地域の事例と比較して自校の対応に不満を持つこともあります。「学校に任せておけば安心」という時代ではなく、保護者自身が教育や安全に積極的に関与しようとする傾向が強まっています。その中で、一部の保護者はエスカレートしてしまい、教師に感情をぶつけたり過剰な介入をするケースも出てきます。


要するに、教師と保護者の双方がストレスフルな状態に置かれ、互いに不信感や苛立ちを募らせている構造が見て取れます。本来、子どもの成長を支える協力関係であるべき教師と保護者が、敵対的・対立的になってしまう。その歪みが最悪の形で爆発したのが今回の暴力事件と言えるかもしれません。もちろん、どんな理由があれ暴力は断じて許されませんが、その背景にこうした労働環境や制度上の課題などがあることも直視する必要があります。


教師の長時間労働の問題も無視できません。国際調査によれば、日本の教師の1週間あたりの平均勤務時間は小中学校とも50~56時間と世界で最も長く、OECD平均(約39時間)を大きく上回っていますnewsweekjapan.jp。授業準備や授業そのものに費やす時間はむしろ各国平均より短い一方で、部活動指導や事務処理など授業以外の業務に極端に多くの時間を割いています。特に若手教師ほど部活動や雑務の負担が重くのしかかり、心身に余裕をなくしています。このような状態では、保護者とのコミュニケーションに十分なエネルギーや時間を割くことも難しく、誤解や行き違いが生じてもフォローしきれません。制度的な働き方改革の遅れが、教師と保護者双方のストレスを増幅させている面もあるのです。


以上のように、教育現場の人手不足・業務過多、そして保護者対応負担の増大という制度的課題が、教師と保護者の関係悪化の背景に横たわっています。この構造を改善しなければ、第2、第3の立川市のような事件が起きかねません。教師が教育本来の業務に専念でき、保護者とも余裕を持って向き合える環境づくりが急務と言えるでしょう。


とはいえ、今の政府や国のリーダーシップのもとでは、何も変わらないでしょう。それどことろか、ますます平和は形骸化し、治安も悪化、日本の安全はもはや過去のものになっていく未来すら見えています。


  1. 立川小学校だけじゃない繰り返される惨事

立川市の事件は決して突発的な孤立例ではありません。過去にも学校内での暴力事件や侵入事件は繰り返し起きており、そのたびに社会に衝撃を与えてきました。ここではいくつかの事例を振り返り、共通点や教訓を探ってみます。


まず忘れてはならないのが、2001年に大阪府池田市の附属池田小学校で起きた児童殺傷事件です。37歳の男が小学校に侵入し、次々と児童や教師を包丁で斬り付け、児童8人が死亡、13人の児童と2人の教師が負傷しました。この事件は日本中に大きな衝撃を与え、「学校内は安全で当然」という常識を覆したとまで言われています。当時メディアでは『学校安全神話の崩壊』という言葉が使われ、学校が絶対安全な聖域ではない現実を突きつけました。


まさに「学校=安全」という前提が崩れ去った事件であり、全国の学校で校門の施錠や警備員配置など安全対策が強化される契機となりました。しかし、その後も悲劇は後を絶ちません。実は池田小事件のわずか2年前の1999年にも、京都市の小学校で校庭で遊んでいた小学2年生の男児が見知らぬ若い男に刺殺される事件が起きていました。犯人の男(21歳)はそのまま逃走しましたが後に自殺。この「京都小学生殺害事件」も当時大きく報じられ、学校の安全への不安を広げました。ターゲットが児童だった点で立川市の事案とは異なりますが、いずれも部外者が学校に侵入し凶行に及んだ点では共通しています。


さらに、保護者が関与する学校内暴力も過去に例がないわけではありません。例えば1970年代~80年代には、体罰問題などを巡って保護者が教師に詰め寄りトラブルになるケースが散発的にありました。近年でも、子どもの扱いに不満を持った親が学校に押しかけて教師を怒鳴りつけたり、時には手を出すといった事件が報じられています(※個別の事件名こそ大きく報じられませんが、教師側が警察に被害届を出すケースもあります)。今回の立川市の事件は、保護者が知人を使って暴力行為に及ぶという点で非常に悪質かつ珍しいパターンではありますが、根底にはやはり**「保護者の怒りが学校に向かった」**という構図が見て取れます。

私の地元の中学校でも、当時の校長が生徒(JC1)の前髪が規則違反だとして前髪を切り、それに激怒した親(お父さん)が校長室に殴り込み椅子を投げつける、という事件が起きたことがありました。このように、大体的にニュースにはなっていなくとも、保護者と学校側によるトラブルは決して珍しいものではありません。過去の蓄積を見れば、保護者と学校のトラブルが深刻化して暴力事件になる可能性は十分に予見できたとも言えるでしょう。


また、教育現場の内部の問題としては、教師自身がストレスから問題行動を起こすケースも存在します。いじめ加害への報復として教師が生徒に暴力を振るったり、精神疾患を抱えた教師が突発的に教室で奇異な行動に走るような事例も報告されています。さらには学校内で教員同士のいじめ・パワハラが起き、被害教員が自殺に追い込まれる事件(例:神戸市教員いじめ事件2019年など)もありました。「学校内の安全」には外部からの脅威だけでなく内部要因も含まれることを、過去の出来事は示しています。


学校を舞台にした事件は外部からの無差別な侵入事件から保護者・教師間のトラブルによる暴力事件、さらには教員の盗撮やチョメチョメ、メンタル不調に端を発する問題まで、多岐にわたります。しかしその根底には共通して、「学校だから大丈夫」という油断や慢心があったのではないでしょうか。過去の惨事から我々が学ぶべき教訓は、「学校といえど社会の一部であり、様々な危険や歪みから無縁ではいられない」という現実です。そしてその現実を直視し、子どもたちを守るための具体的な対策を講じ続ける責任が、大人社会、特に親にはあるはずです。


とうに崩れ去った「学校=安全」の前提

  1. とうに崩れ去った「学校=安全」の前提

日本では長らく「子どもは学校にいる間は安全だ」という暗黙の前提が共有されてきました。しかし、先に述べたような事件の積み重ねにより、もはやその前提は成り立たなくなっています。2001年の池田小事件以降、「学校安全神話」は音を立てて崩壊しました。今回の立川市の事件も、そのことを改めて突きつけるものです。私たちはもはや、「学校だから安心」という思い込みを捨てねばなりません。


学校関係者はもちろん、子どもの保護者や地域社会も意識を変える必要があります。学校は決して絶対安全な聖域ではなく、外部社会と地続きの環境であるという認識です。不審者侵入や保護者トラブルだけでなく、自然災害や事故、児童間の事件などリスクは多様に存在します。学校に通わせる親御さんや祖父母世代の方々にとっては不安な話かもしれませんが、むしろ**「学校でも最悪の事態は起こりうる」**と心得て備えておくことが大切です。

立川市の事件当日、我が子の安否を確認した保護者からは「生きた心地がしなかった。子どもの顔を見てほっとした」「まさか自分の子どもの学校でこんな事件が起きるなんて」といった声が上がっています。誰しも、自分の子どもが通う学校で暴力事件が起きるとは思っていなかったのです。

しかし「まさか」は現実に起こり得ます。学校=安全という思い込みは親世代にとっての安心材料ではありましたが、それに寄りかかっていては子どもを守れない時代になってしまったと言えるでしょう。


では、この現実を踏まえて我々大人は何をすべきでしょうか。学校側には安全対策の強化や教職員の危機対応力向上などやるべきことが山積しています。同時に、保護者世代も学校任せにせず主体的に子どもの安全を考える姿勢が求められます。具体的な防犯知識の共有や、子ども自身への危機回避教育など、家庭でできる準備もあるはずです。

「学校=安全」の前提が崩れた今、重要なのは**「子どもをどこであれ安全に守るにはどうするか」**というリアルな対策です。その視点に立ち、次の章では子ども自身が身を守るために持たせたい防犯ツールについて考えてみます。

催涙スプレー

  1. 子ども自身が身を守るための現実的な防犯ツール

悲しいかな、私たちは子どもに**「自分の身は自分で守る」術を教えざるを得ない時代に差し掛かっています。学校内ですら絶対安全ではない今、万一危険が迫った際に子ども自身がとっさに取るべき行動や、防犯グッズの活用についても検討が必要です。多くの小学生はランドセルや通学バッグに防犯ブザー(緊急時に大音量を発するアラーム)を携帯していますが、今回のように教室内で暴漢が暴れている状況**でブザーを鳴らしても、それだけで凶行を止めることは難しい、不可能でしょう。周囲への知らせには役立っても、犯人に物理的ダメージを与えるわけではないからです。


では他にどんな手立てがあるでしょうか。日本でよく議論に上るのがスタンガン(電気ショックを与える護身具)ですが、スタンガンは機器自体が大きく小学児童には扱いづらいうえ、相手に直接当てねばならず現実的ではありません。何より子どもが持ち歩くには刺激が強すぎ、学校に持ち込むことも現実的には認められないでしょう。


そこで現実的な防犯ツールとして注目したいのが「催涙スプレー(唐辛子スプレー)」です。催涙スプレーとは、刺激の強い液体やガスを噴射して相手の目や鼻を一時的に苦しめ、行動不能にする護身用具です。これなら小柄な子どもや女性でも、屈強な成人男性に立ち向かうことが可能な唯一の護身用品だと専門家も指摘していますksp-web.com。噴射して数秒で相手の目を開けられなくし、呼吸も困難にさせますが、致命傷を与えるものではなく比較的安全性が高いのも特徴です。要は「一時的に相手の目を眩ませてその場から逃げる」ための道具であり、子どもでも扱いやすいスプレーボトル型の製品が市販されています。


実際、千葉県のある小学校(印西市立原山小)では教室内に不審者対策用の催涙スプレーを備え付けていたほどです。今年5月、そのスプレーを児童がいたずらで噴射しクラスメートが軽症を負うハプニングがありましたがnews.ntv.co.jp、「学校側が防犯用具として催涙スプレーを用意していた」事実にも注目すべきでしょう。学校としても不審者侵入時に教職員が応戦できる手段として有効だと認識しているわけです。同様に、子ども自身が携帯できる小型の催涙スプレーを持つことも検討に値します。


もちろん、子どもに催涙スプレーを持たせることには注意点もあります。誤って友達にかけてしまったり、ふざけて使えば大変危険ですから、十分な教育とルール作りが不可欠です。また、室内で噴射すると周囲の子ども達にも影響が及ぶ恐れがあります。最近では屋内使用でも広範囲に拡散しにくいジェル状・液状タイプの催涙スプレーも開発されており、用途に合わせて選ぶこともできます。家庭で持たせる場合は、子どもに使い方をしっかり教え、「本当に危ない時以外は絶対に使わない」「ふざけて友達に向けない」等の約束を取り決める必要があります。


法律的には、催涙スプレーの所持自体は違法ではなく自己防衛目的での使用は認められています(銃刀法等の規制外です)。中学生や高校生が防犯目的で持ち歩くケースもあり、小学生の場合、学校によって持ち込みに制限があるかもしれませんが、通学路など学校外での防犯用として持たせておくことは保護者の判断で可能でしょう。昨今の物騒な事件を考えれば、「万が一の時はこれを噴射しなさい」と教えて子どもに持たせておくことは、親として決して過剰反応ではないように思います。


護身用 防犯スプレー

催涙スプレー以外にも、例えばボールペン型の催涙液(相手に塗布すると刺激を与えるもの)や、小型のカラースプレー(塗料で相手の顔をマーキングし逃走を阻止するもの)などの防犯グッズもあります。【防犯ブザー+α】の備えとして、そういったツールを子どもの年齢や性格に応じて持たせるのも一案です。特に高学年にもなれば状況判断もできるので、護身用具を持つこと自体がリスクを高めるとは考えにくいでしょう。それよりも何も持たず無防備でいるリスクの方が大きいのではないでしょうか。


最後に強調したいのは、子どもの命を守るために大人ができることは何でも検討すべきだという姿勢です。学校にお任せではなく、家庭でも最善を尽くす。その一つが催涙スプレーのような防犯ツールの活用です。「スタンガンは現実的でない、ブザーだけでは不十分」という観点から、本記事では催涙スプレーを提案しましたが、これは決して物騒な武器を持たせて戦わせようという話ではありません。あくまで**「逃げるための時間稼ぎ」**の手段を持たせるということです。何事もなく学校生活を送れるのが一番ですが、万が一の非常時に子どもが自分で自分を守れる準備をしておく――それもまた親や祖父母世代の大切な努めではないでしょうか。


本記事を読まれている保護者・祖父母世代の皆様も、ご自身のお子さんやお孫さんの安全について不安を感じられたかもしれません。教育現場のガバナンス改革や安全対策強化は社会全体の課題ですが、ぜひ家庭でもできる備えを今一度見直してみてください。学校の出入り管理や危機管理意識の問題、教師と保護者の関係性の歪みといった構造的課題はすぐには(あるいはずっと)解決しません。しかし、私たち大人が子どもを守る最後の砦として、知恵と工夫を凝らすことで、子どもたちの安全を少しでも高めることは可能です。「学校=安全神話」が崩れ去った今、一人ひとりの意識と行動が子どもの未来を守る鍵となることを肝に銘じたいものです。

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